神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見極めることができない。(伝道者の書3:1-2,4,11)


今年も5ヶ月が過ぎ、春、庭いっぱいに咲いていたチューリップやポピーは姿を消して、草花にも季節の移り変わりを感じます。
やがて夏が来れば、隠れている朝顔やひまわりの花々が「今度はわたしの番よ!」と、その美しさを私たちに見せてくれるのでしょう。
季節になると待ちかねたように咲く花々も不思議です。


障害を持ち、口に筆を持って絵や詩を書かれる星野富弘さんがこんな詩を書いておられます。
「暗く長い土の中の時代があった。いのちがけで芽生えた時もあった。
しかし、草はそういった昔をひとことも語らず、もっとも美しい今だけを見せている。」

今咲き誇っている花々も、季節が巡ってくるまでは、芽も出さず土の中に眠り、少し前までは踏み潰されそうな弱々しい小さな芽を
のぞかせていたのです。
あるいはなんの見栄えもない葉ばかりを揺らせ、誰にも見向きもされない、そんな時代がありました。
しかしその花にふさわしい時が訪れると、見る人を驚かせ、喜ばせ、悲しむ人の心を慰める美しい花を咲かせます。
力強く輝き、私たちを励ましてくれるのです。

私たちも、それぞれに暗い土の時代があり、自分の弱さに失望してしまう時があるかもしれません。
しかし、やがて時が来れば、労苦も悲しみも忘れてしまうような、輝くときが訪れます、
花を咲かせる神様は、私たちにもそれぞれに大切な役割を与えていてくださるからです。

イエスさまはこう話されました。「今日あっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、
神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。
信仰の薄い人たち。(マタイの福音書 6章30節)

美しい花が咲いているような周りを見て、なぜ自分ばかりがと劣等感を感じるかもしれません。羨む必要はありません。
花の時期がそれぞれ違うように、人の時もそれぞれ違います。
あせらないで、人と比較しないで、私たちを造ってくださり、愛してくださっている神様が私のために
定めてくださっている「時」を待ちつつ、今の「時」を大切に過ごしてください。
あせらず、羨むことなく、つつましく、聖書の中でイエスさまが語っておられるように、
私たちを愛して見つめていてくださる神さまに信頼し、期待していきましょう。

聖書には、あなたのために語りかけておられる神さまの愛のことばが満ちています。
ぜひ教会においでくださり、いっしょに聖書を開いてみませんか。
あなたをお待ちしております。
                        牧師 高松和代

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