イエスはこれらのことを話してから、そこを立ち去って、彼らから身をお隠しになった。
12:37 このように多くのしるしを彼らの前でなさったが、彼らはイエスを信じなかった。
12:38 それは、預言者イザヤの次の言葉が成就するためである、
「主よ、わたしたちの説くところを、だれが信じたでしょうか。
また、主のみ腕はだれに示されたでしょうか」。
12:39 こういうわけで、彼らは信じることができなかった。イザヤはまた、こうも言った、
12:40 「神は彼らの目をくらまし、心をかたくなになさった。
それは、彼らが目で見ず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである」。
12:41 イザヤがこう言ったのは、イエスの栄光を見たからであって、イエスのことを語ったのである。
12:42 しかし、役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人をはばかって、告白はしなかった。
会堂から追い出されるのを恐れていたのである。
12:43 彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである。
12:44 イエスは大声で言われた、「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしをつかわされたかたを信じるのであり、
12:45 また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである。
12:46 わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。
12:47 たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。
わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。
12:48 わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。
わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。
12:49 わたしは自分から語ったのではなく、わたしをつかわされた父ご自身が、
わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったのである。
12:50 わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。
それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである」。